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メアリー・カサット (前編1/3) [ART]

 今年の春までに東京で開催されたオルセー美術館展で、マネ作の「すみれのブーケを持つベルト・モリゾ」が展覧会のポスターやTVのCMで取り上げられ、現在は新宿の東郷美術館で個展が行われるなど、一躍、画家・モリゾに注目が集まっている。僕もモリゾは大好きな画家で、その人となりに興味を持ち、娘のジュリーの日記まで買い求めて読んだ程なので、印象派と言えばおおよそモネとルノワールの名前しか出てこない世間の関心が、今彼女に向けられている事をとても嬉しく思っている。

 でも、ここで僕が気になってしまっているのは、モリゾが紅一点、唯一印象派で活動していた女流画家のような扱い、記述をしている文章が散見されること。

 ちょっと待って下さいな。それでは誤解を受けます。
 印象派にはもう1人、才能豊かな女流画家がいたでしょう?。忘れては困ります。知らなかったらここで覚えてあげて下さい。メアリー・カサットの名前を。

※上画像 : 『授乳するルイーズ』 (1899年以降に制作) ロー・コレクション




 僕がカサットの絵と出会ったのは、忘れもしない東横線の中でだった。ふいに目に飛び込んできた電車の中吊りは今から7年ほど前のこと、横浜そごう美術館での“ロー・コレクション~西洋絵画500年の巨匠たち展”(2000年3月31日~5月8日開催)の開催広告だった。

 遠目に見ても正確で素晴らしいデッサン、授乳している女性の色鮮やかなオレンジ色したコスチュームに目を奪われ、そして何より無垢な瞳で母の顔をじっと見つめながらおっぱいを飲む、なんとも愛らしいあかちゃんの表情と云ったら・・・。

 その絵が今回冒頭に載せた『授乳するルイーズ』だった。

 それまでの僕は、どちらかと云えば退廃的なムード漂うドガやロートレックがひたすら好み。彼等のちょっと冷めた感覚を心地良いものと感じていた。それと比せば、このカサットの描いた光景は何ともミルキーで甘ったるいもの。でも、どことなくこの優しく愛らしい母子の肖像画の中にも、何故かドガやロートレックと通じる何かを感じて、僕はこのカサットに興味を持った。限りなく愛らしいのに、何かが冷めてる不思議な感覚はどこから来るのだろう?。



『自画像』 (1880) ワシントン、ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

 メアリー・スティーヴンソン・カサットは1844年、アメリカのペンシルヴェニア州アリゲニー・シティ(現在のピッツバーグ)に生まれた。彼女の父ロバート・シンプソン・カサットはフランス系のユグノー教徒を先祖に持つ、かなりの成功と富とを得た銀行家で、メアリーの生まれた翌年にはアリゲニー・シティの市長にも当選している地元の名士でもあった。ロバートは妻キャサリンとの間に5人の子どもに恵まれたが、次男のロビーが病弱で、当時の最先端医療を受けさせる目的で、一家は揃ってヨーロッパに長期旅行に出る事となる。この時にパリにも長期滞在し、メアリーや彼女の兄弟はフランス語や他のヨーロッパの言葉を習った。当地では1855年、パリ万国博覧会が開かれ、画壇ではアングルとドラクロワの「線と色彩」の論争が一般市民をも巻き込んで繰り広げられるなど、アメリカとは確実にレベルの違った文化の熟成度を見せる社会を、カサット家の人々は身を以て知る。しかし、治療の甲斐無くロビーが療養先のドイツ・ ダルムシュタットで亡くなり、悲しみの中、一家はヨーロッパから文化芸術後進の地アメリカへと戻って行った。

 16歳になったメアリーは、既に芸術の道へと進むことを決意し、カサット家の別邸の在ったフィラデルフィアのペンシルヴェニア美術アカデミーの素描クラスに在籍することを許された。当時のアメリカに於いては、未だ公立の美術館や展覧会場は殆ど無く、それらの登場は1870年代を待たねばならなかった。そのような状況下で、芸術を目指す若者たちがヨーロッパで生まれた伝統的西洋芸術や、さらに現在進行形で進む革新的な現代美術に直接触れることは難しく、教育システムの整備も立ち後れていた。しかし、カサット家の別邸の在ったフィラデルフィアは1860年にはアメリカ第2の都市として経済、文化面で大いに繁栄し、その点でメアリーは幸運だった。アカデミーの年次展にはたくさんの人々が訪れ、そこには過去の巨匠達の名画や、とりわけフランスの現代美術も展示されていた。ここに後にメアリーが師事することとなるジャン・レオン・ジェロームの作品も展示され、彼女はそれらに大いに触発されて、再びのパリへと思いを募らせてゆくのだ。

 メアリーの在籍したペンシルヴェニア美術アカデミーは女子学生の受け入れと云う点で、比較的先進性を持った学校であり、ヌード素描のクラス以外はすべて女子学生も受講出来た。しかし、その教育システムを、ほぼそっくりパリの美術学校から倣ったもので、学生が絵画制作へ進む前には数年間、直刻銅版画(エングレーヴィング)や古典絵画、彫刻の模写を義務付けられ、加えて医学校の教授達による解剖学の講義も受けさせられた。メアリーはこうした教育制度に不満を覚え、やがて独学で絵を描くようになってゆく。

 1865年、南北戦争が終結して半年後、メアリーは女性が画家になることを激しく嫌悪した父の反対に遭いつつも、パリへと旅立った。夢と希望に満ちた先進の都・パリではあったが、彼女はすぐにフランスの芸術教育がフィラデルフィア以上に保守的だったと思い知らされる。女性が美術学校の授業に出ることは、当時フランスでも許されなかったのだ。代わりに、彼女はアカデミー画家のシャルル・シャプランの主催する女性の為の絵画教室に籍を置き、またジェロームから個人的に指導を受けた。彼女はやがて規範ばかりを重んずる既成の美術教育に失望し、その導きをルーヴル美術館での模写に求めるようになる。

 そんな経緯からメアリーはフランスの美術アカデミーや官展(サロン)以外に目を向け始める。1867年にはフォンテーヌブローの森のクーランスに在った芸術家村にバルビゾン派の画家たちを訪ね、その制作方法を目にする。当時、バルビゾン派の画家たちが描く風景画や農村風景はアメリカから絵を買い付けに来る人々に殊の外人気があったものだ。

 さらにメアリーはパリの北10マイルのエクアン村(Ecouen)に移り、当時大家として知られるピエール・エドワード・フレールとポール・ソワイエの指導のもと、風俗的主題の絵を集中して描いた。メアリーはこうした経験から、寓意や古典、または歴史などを主題とするより、今自分が生きている現代を描くことにこそ、共感と目的を見出す様になっていったのだ。彼女が後に印象派に参加する土壌は、こうして育まれていった。

※参照) 右図、ピエール・エドワード・フレール 『洗濯日』


 メアリーも初めは当時の他の多くの画家と同じように、パリでの官展(サロン)での入選と賞賛とを獲得する事を目指した。そして、1868年には『マンドリン奏者』と云う作品で見事、初めてのサロン入選を果たす。残念ながら僕はその絵を観たことがないのだが、前述のエクアン村で受けた影響がはっきりと見て取れる画風だったと云う。しかしそれ以上に顕著だったのが、エクアンのすぐそば、ヴィリエ・エ・ベル村に拠ったトマ・クチュールの指導による影響だそうだ。因みにクチュールはやはりアカデミーの規範を拒絶した画家で、後にメアリーがその作品に惹き付けられるマネの師匠でもある。

(※本項要旨、岩波 世界の巨匠“カサット” / アリソン・エフェニー著、松本透訳 より)

カサット (岩波世界の巨匠)

カサット (岩波世界の巨匠)

  • 作者: アリソン・エフェニー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1996/01/23
  • メディア: 大型本


 さて、これでも掻い摘んだつもりでだいぶ長くなってしまったが、アメリカ人のメアリー・カサットがどの様な経緯でフランスに渡り、絵を学んだかは大体お分かり頂けたと思う。この後1870年の普仏戦争の勃発に因り、一時帰国を余儀なくされたりもするのだが、これ以上の詳しい話は、もし興味を惹かれたなら上記の様な専門図書をご覧頂くとして、以下は彼女の作品を中心にご紹介をしていきたいと思う。



『闘牛士にパナルをさしだす娘』 (1872-73)
マサチューセッツ州ウィリアムズ・タウン、S.&F.クラーク・アート・インスティテュート蔵

 カサットは1872年から翌年にかけてセビリアに滞在し、そこで描かれたこの絵は1873年のパリ・サロンで入選を果たす。この2度目の入選は、フランスにおいて彼女が画家として公的な評価を受けた事実をさらに確固たるものにし、それはフランス以上にアメリカでの評価に直結していた。これによりカサットは先ずは成功への第一歩を踏み出す。この作品は、その後1874年にニューヨークで行われたナショナル・アカデミー・オヴ・デザインにも展示される事となる。

 鮮やかな赤が印象的なこのスペイン派的な画風は、やはり僕には60年代初頭のマネのスペイン風作品を思い出さずにはいられない(マタドール=闘牛士はマネも好んで描いたテーマでもある)。この頃のカサットはまだ自己のスタイルを確立するに至らず、様々な画家からの影響や長所を貪欲に自らの物とすべく取り入れていた時期だったようだ。因みにパナルとは、ここで娘が持つグラスに注がれている甘い清涼飲料のこと。

※マネの『闘牛士』はtaekoさんのblogに展示の紹介記事があります→http://blog.so-net.ne.jp/taekoParis/2007-09-29



『野原のケシ』 (1874-80頃) フィラデルフィア美術館

 この絵を黙って見せられたなら、きっとモネだと思ってしまう人が多いのではないだろうか。カサットが印象派に最も接近した時期に描いた「外光派」的作品で、彼女の遺した絵の中でもかなり毛色の違った作品と云って差し支えないだろう。(※カサットは1879年の第4回印象派展から参加)

 カサットが尊敬して止まなかったドガは、実は印象派の仲間達の中ではあまりモネの画風を快くは思っていなかった。と云うのも、ドガは線描によるフォルム(デッサン)を最重要視していた画家で、描く対象を光と色彩の集合体として(時として曖昧に)表現するモネの画風を好感出来なかったのだ。また、目が弱かったドガは強い陽光を嫌う傾向があり、競馬場での作品などを除き、外光下での作品が極端に少ない。マネやモネ、ルノワールが屋外へ出掛け、一緒にイーゼルを並べていたのと較べれば、印象派のグループ内でのスタンスが大きく異なる。カサットはやはり屋外での光の一瞬を切り取るモネ的表現よりも、ドガ同様屋内での制作を好む画家だった(自らを「室内の印象主義者」などとも話している)。ドガは、モネの作品から生まれた印象派という言葉に違和感を持っていたため、自らの所属するこのグループを「独立派」と呼び、カサットもそれに倣っていたと云う。
※参照) 右図、クロード・モネ 『ひなげし』 (1873)



『青い肘掛け椅子にすわる少女』 (1878) ワシントン、ナショナル・ギャラリー

 1877年、カサットはそのアトリエにドガの訪問を受け、印象派(ドガの云う独立派)グループへ参加するよう促される。ドガは1874年にサロンに出展されたカサットの作品『イーダ』(その後消失)と題するローマで描かれた肖像画を初めて見た時から、「自分と同じように感じる者だ」と述べて、その存在を認めていたと云う。

 この絵はドガの友人の娘をモデルにカサットが描いたものだが、それを気に入ったドガが背景などに助言を与え、ソファーの模様などに手を入れた、二人の唯一の共作として知られている。ドガとの共作に感激したカサットはこの絵を1878年の万国博覧会のアメリカ部門に送るが、事も有ろうに落選してしまう。幼い少女が退屈そうにソファーで寝そべる姿は、サロン重視の当時のフランス絵画の風潮に於いてはあまりに非伝統的で突飛(=アヴァンギャルド)なテーマだった。そして、これを審査した者の内1人が薬剤師だったと知り、カサットは「あのドガが良いと気に入ってくれているのに!」と語り激昂したと云う。以降の生涯、彼女は一切の審査員と云う者全てを信用しなくなり、どんなに成功者として扱われようとも、自らが審査する側になることも決してなかった。カサットの激しい気性を物語ると共に、如何に彼女がドガからの賞賛を自己の励みにしていたかが伺えるエピソードだ。



劇場にて(桟敷席にて座って肘をつくリディア) (1879頃)
ミズーリ州カンザス・シティー、ネルソン・アトキンズ美術館

 一方、カサットがドガの作品に初めて出会い、衝撃を受けたのも時同じく1874年だった。オスマン大通りの画廊のウィンドウ越しに、彼女はドガのパステル画を見つけた。「まるでガラスに鼻をくっつけんばかりに近付いて、私はその絵から全てを吸収しようとしました。その絵は私の人生を変えてしまったのです。私はその時、芸術を私が見たいと思う様になったのです」。 以来、カサットにとってそれまで馴染みのなかったパステルは、彼女にとっての重要な表現ツールとなった。



『ル・フィガロを読む』 (1878頃)
ニューヨーク、プライヴェート・アセット・マネージメント・グループ社蔵


『紅茶を愉しむ』 (1880頃) ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵

 1877年、カサットの両親と姉リディアがフランスに永住するためアメリカから移ってくると、彼女の生活は一変する。年老いた父母と腎炎を患った姉との生活は、カサットがただただ芸術だけに没頭することを許さなかった。しかし、同時に家族と云う手っ取り早いモデルを得て、ごく身近な人々の日常をテーマにするようになる。ソファーに腰掛け新聞を読む母、ファッショナブルな出で立ちで優雅に紅茶を愉しむ姉など、ブルジョワジー女性の穏やかで豊かな暮らし向きは静かな気品と親密感に満ちている。



孫たちに本を読んで聴かせるカサット夫人 (1880) 個人蔵

 カサット夫人を囲むのは、メアリーの愛らしい甥と姪たち。兄アレクサンダーの子どもたちだ。ペンシルヴェニア鉄道の筆頭副社長と云う要職にあったアレクサンダーは、1880年に家族を引き連れフランスへやって来る。彼とその妻がヨーロッパを仕事で飛び回る間、子どもたちは祖父母と叔母に預けられ、一家は夏の間、田舎に避暑のための家を借りた。この絵はその時の祖母と孫たちをモデルに描いた作品。本を読んで聴かせる祖母をみつめる子どもの可愛らしい眼差しは、この絵を観る人々を微笑ませずには居られないもの。僕もカサットの作品の中で特に好きな絵だ。

 ただ、こんなにも愛らしい絵を描くカサットは至極割り切った性格で、この絵にはそれを物語るエピソードが伝えられている。
 1881年の第6回印象派展に出品されると、この絵には早速買い手が付いた。希望者はカサットが肖像画も描いている友人の美術蒐集家モイーズ・ドレフュス。この話を聞いた母、カサット夫人は孫娘のキャサリンに手紙を書いた。「メアリーがあなたとロブとエルシーを描いた絵を覚えているでしょう?。・・・或る方があの絵を買いたいと云っているのですが、あなたのメアリー叔母さんがあれを手放すとは思えません。自分の母親と甥と姪を描いた絵を売り払うなんて、彼女がするもんですか」。ところが、母の予想に反してメアリーはあっさりドレフュスに絵を売り渡してしまった。結局家族から散々に云われ、メアリーはその絵を買い戻し、兄アレクサンダーに贈ることとなるのだが、クールと云うか、ドライと云うか・・・(苦笑)。


中編(全3回予定)につづく → http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-10-18


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バニラ

カサット、初めて知りました。いいですねぇ。この絵のタッチも色合いもそれからカサット自信の凛とした生き方も!
このなかでも『授乳するルイーズ』『青い肘掛け椅子にすわる少女』 『ル・フィガロを読む』 が好きかなぁ。
この続きはいったいどんな感じなのでしょう。後半が楽しみです。
by バニラ (2007-10-13 08:43) 

pistacci

これでしっかり覚えました!^^v
「野原のけし」と、モネの「ひなげし」。見たことあるような、と、思ったら、
私の好きなモリゾの「プーシヴァルの庭」に、イメージが似ていました。
『紅茶を飲む』に、ちょっとぞくぞくっときちゃいました。ドレスのピンク、ブルーの花、淡い印象をひきしめるソファーの色。本物が見たいなー。
by pistacci (2007-10-13 09:54) 

TaekoLovesParis

すばらしいカサットの紹介ですね。導入部、生い立ち、作品紹介と
きちんと構成されていて、とても読み応えがありました。私はカサットの
作品は見ているけれど、生涯を知らなかったので、ひとつひとつの絵が
こういう時代にこういう経緯で書かれたのね、と興味深かったです。

私がカサット作品をはじめて認識したのは、(それまでオルセーで見て
いたのでしょうけれど、覚えがなくて、、)アメリカ1999年。メトロポリタン
美術館で「メアリ・カサット展」をやっていたのです。かなり大々的で、
アメリカの誇る画家と説明がついていました。
(出かける時間なので、あとで続きをかきます)
by TaekoLovesParis (2007-10-13 11:42) 

TaekoLovesParis

yk2さん、こんばんは
メトのカサット展で印象に残ったのは、「5時のお茶」でした。他に裁縫を
する絵が2点もあったので、女の人らしい視点と思いました。どの情景も
アメリカらしくなく、洗練されてと思ったらパリで勉強と書いてありました。

ドガが描いた「メアリ・カサット」、そういえばこの自画像に似ている!
↑の岩波のカサットの本の表紙、ボートをこぐ絵、私はマネの「舟遊び」
を思い出しました。ふんいきが似ているんですよ。
yk2さんがここで見せてくださっているように、カサットの絵がマネに似て
いたり、モネに似ていたり、ドガに、、同じ時代にお互いに影響しあって
いるアーティストで、同じような対象を描けば、そうなることが、はっきり
わかっておもしろいですね。
カサットのいろいろなエピソードもほほえましかったです。

yk2さんお気に入りの一番上の絵、パステルですか?
私が三越で見た肖像画もパステルでした。
by TaekoLovesParis (2007-10-13 21:10) 

yk2

◆バニラさん :

>カサット、初めて知りました。

ふふふ、そっかなぁ~?。
バニラさんがついこのあいだ読んだ誰かさんの記事にだってカサットは既に紹介されていたのですよ(笑)。
http://blog.so-net.ne.jp/taekoParis/2007-09-10

でもね、やっぱり今一つ取り上げられ方が少ないので確かに印象派の中ではマイナーなんです。でもこれを機会に覚えてあげて下さいね。

◆pistacciさん :

モネの「ひなげし」(1873)はアルジャントゥイユが舞台だそうですが、ルノワールも同地で似た作品『草原の坂道』(1876)を残してるんですよ。2作ともにオルセー美術館に所蔵されています。モネ作が第1回印象派展に出展されたものだったので、ルノワールもカサットもモネの絵にインスパイアされて描いたことは間違いないでしょう。taekoさんも書かれてますが、みんなグループ内で互いに影響を与え合っていたのですよ。たとえば、モリゾがブージヴァルで積み藁を描いたら、その後にモネも同素材で描き始めた、みたいにね。
by yk2 (2007-10-15 22:28) 

yk2

taekoさん、こんばんは。

2回に亘りしっかとコメント頂き感謝です。
・・・って、元はと云えばtaekoねーさんのボストン美術館の記事にリンクするつもりで書き始めた記事ですから、これ。
#だって、カサットの扱い小さかったんですもん・・・(笑)。

で、マネの『闘牛士』にかこつけて、本文でTB入れ直しました。これでちゃんと入ってくれたでしょう、多分・・・^^;。

メトロポリタンはね、間接的にですが印象派のコレクションがあれほど秀逸な物になった事に関しては、カサットにはいくら感謝してもしきれない美術館なんだと思います。後半はこれがお話のメインになるから、ドガが描いたカサットの肖像なんかもみんなひっくるめて今日はここまで(笑)。

『授乳するルイーズ』はお察しのとおり、パステルです。
そう云えば、この絵をそごう美術館で直に観た時、20年前に活躍していて夭折されてしまったイラストレーター、ペーター佐藤さんの画風はカサットにも影響受けてたのかな?なんて思ったことを、今さっき思い出しました。
by yk2 (2007-10-15 23:26) 

TaekoLovesParis

yk2さん、この「青い肘掛椅子にすわる少女」の写真は、どんと大きく存在感がありますね。ソファーにあとから模様をいれたんですか。たしかに模様がなかったら、地味になってしまいますね。

マネの「闘牛士」へのTB,、流れとしてうまいところにはいってますね。
でも肝心の私の記事の写真が、、、今後、もっとていねいに撮りますから。

てんちゃんへのコメント、読んで笑いました。
初々しい、、って、「未だ見ぬきみ」だった方がよかった?(笑)

ペーター佐藤さんの絵、知らなかったので、見てみました。
グリーティングカードのこどもの絵が、カサットを思い出させますね。
by TaekoLovesParis (2007-10-17 00:22) 

yk2

◆taekoねーさん :

ここでの『青い肘掛け椅子・・・』が特別サイズが大きいワケじゃないんですが、構図で大きく見えてるんですよ。少女がでーんと寝そべってるせいだからかな?。実際には『野原のケシ』のが大きいサイズなんですもん。

『闘牛士』のトコでのリンクは後付けとしては上手く滑り込ませたんですが、結局ねーさんのblogにはTB入ってないんですよね~(苦笑)。TBの受け入れ自体が不調なのかも知れませんね。

>「未だ見ぬきみ」だった方がよかった?(笑)

いえいえ、昨年末以来お会いしてからの方がず~~~っと楽しませて頂いてます。僕の使命は「セレブtaeko」が実際はどんなに面白いヒトなのかを皆さんに伝える(=暴露する^^;)役目かと(大笑い)。

ペーター佐藤知らなかったですか?。
パルコやノエヴィア化粧品とか、時代の寵児みたいに売れてたんですけど。その流行っぷりは見事でしたよ。広告代理店のご友人に訊いてみて下さいな、知らないワケないから。ねーさんもCMとか見たらきっと思い出すハズです。
by yk2 (2007-10-17 00:48) 

Inatimy

最近知ったばかりの名前だ・・・と思ったら、Taekoさんの記事でした。 2人の少女がお茶してる絵。 こんな生涯を生きた女性だったんですね。 パステルでこんな絵が描けるんなんて。 
by Inatimy (2007-10-17 21:14) 

シェリー

誰が描いたものかは覚えていなかったけれど
私も『青い肘掛け椅子にすわる少女』 は印象に残ってました。
とってもお金持ちのお嬢さまだったのに
強い意志とか情熱をおもちの方だったのですね。
yk2さんの説明を物語のように読んでると、その魅力を少しだけ
私も感じられた気がします。だから
メアリー・カサットさん ここでもう覚えられたかなと・・・(汗)

あと・・・
>僕の使命は「セレブtaeko」が実際はどんなに面白いヒトなのかを皆さんに伝える(=暴露する^^;)役目かと(大笑い)。
私もてんとうむしさんと同じで笑っちゃいました(笑)
これからも私の知らないTaekoさんの魅力楽しみにしています☆
by シェリー (2007-10-19 13:15) 

yk2

◆Inatimyさん :

taekoさんの記事で出ていたのは『5時のお茶』と云う絵ですね。僕もここであの絵を載せると云う選択肢もあったのですが、今回は『紅茶を愉しむ』の方を選びました。

余談ですが、カサットはファッションやテーブル・ウェアなどにも関心が強かったので、そう言ったアイテムを優雅でお洒落な物と意識して描き入れていたのですよ。今にして思えば、ある意味ライフスタイル提唱型のファッション・グラビアの先駆けのような事を絵画で展開していたのかも知れません。それまで、そんな物を描いていた女流画家なんて全く存在していなかったのですから。

◆てんとうむしさん :

>我慢できずにくふふっ♡と吹き出してしまいました

パラノイアのお返しを、ほ~んのちょっとしちゃおっかな、っとね(いひひ^^v)。

◆シェリーさん :

カサットは確かにお金持ちのお嬢様だったんですが、1880年代初めはいろいろ不幸な目にも遭って、必ずしもずっと幸せだったわけじゃないのですよ。その辺は後編でも書くつもりですので、up致しましたら、お暇な時に読んでみて下さいませ。

>私の知らないTaekoさんの魅力楽しみにしています

シェリーさんはどうせなら、さっさとtaekoねーさんに会っちゃった方がハナシが早いですってば(笑)。

あんまりおちょーしに乗ってると、すぐにパンチのアイコンがメールで送られてきますので、ほどほどにしないと、ね(^^;。
by yk2 (2007-10-19 23:01) 

バニラ

ほんとだぁ~、Taekoさんのところでいろいろ拝見してましたねぇ。
青い肘掛けの少女の絵はお気に入りだったのだけどなぁ.. 作者を覚えるの(人の名前を覚えるの)大の苦手なのです。
by バニラ (2007-10-22 22:27) 

yk2

バニラさん、こんばんは。

そうですよね、よっぽど興味のアンテナに引っ掛からないと、一読した位じゃヨソ様のblogに出て来た人の名前なんて覚えませんよね。僕も覚えるのが得意かと訊かれれば、ハッキリ云って不得意です(^^;。
by yk2 (2007-10-23 21:00) 

サンフランシスコ人

ワシントンで、『自画像』 (1880)を見ました。
by サンフランシスコ人 (2007-12-02 04:03) 

コロコロ

どこかデジャブ感があると思っていたらこちらの一連の記事、カサットを理解する上でとても参考にさせていただいておりました。メアリーカサットを読み解く資料として、ストックさせていただいていました。

https://tabelog.com/rvwr/000183099/diarydtl/142802/

《孫たちに本を読んで聴かせるカサット夫人》を何の躊躇もなく売ってしまったカサットに、カサットの本質、職業画家として母子像を描いていたということを確信させられました。
by コロコロ (2016-10-13 01:29) 

yk2

◆コロコロさん:

カサットの時代の女性画家とジェンダーの問題は、とてもこのコメント欄ではサラッと扱いきれないお話ですので、スミマセンご勘弁下さい(^^ゞ。その問題はモデルや画題選びからしてメアリーを含めモリゾなど同世代の女性画家に大きく影響していますし、メアリーが職業画家として、売れる見込みがある画題だとして(そのことをメインにして)母子像を選んだのだと一概に言い切ってしまうのは少々乱暴かもしれません。

1つ、僕が読んだ資料の影響を受けてカサットについて思っているのは、彼女やモリゾが、女性らしいセンチメンタリズムを極力作品の中から排除しようと努めていた画家であった、と云うことです。

母子像の母の視線と子の視線が・・・など、モデルがその時感じていた心情的な事柄になどメアリーが興味を持っていたのか?。そこに示唆的なストーリーが存在するのか?。描かれたモデルの親子には、間違いなく母子の愛情はあるでしょう。でも、メアリーは、目に映るものを彼女の観察眼で正確に捉えていただけ。絵を観る我々がそこから愛情を感じるとすれば、それは描かれた母子の姿そのものから感じることであって、メアリーは親子のいる一瞬の情景を切り取っているに過ぎない、彼女のスタイルで作品にしただけなのだと、僕は思います。

それはドガが、髪を梳いたり体を洗ったり拭いたりしている女性を、彼云うところの、まるで「女性を動物として扱う」かの様に描いているのと同様に、だと思っているのです。
by yk2 (2016-11-02 00:09) 

コロコロ

>売れる見込みがある画題だとして(そのことをメインにして)母子像を選んだのだと一概に言い切ってしまうのは少々乱暴かもしれません。

それだけと思っているわけではないのですが、ウェイトは大きいかもしれません(笑)一度、そういうフィルターをかけて見てしまうと、抜け出しにくくなるので、いろいろな視点を提示していたけますとまた、見方が変わってきます。

当時の母子関係については、まだ入り口に立ったばかりなので、もう少しいろいろ見ていかないといけないと思っているところです。中野京子先生の言葉が衝撃的でした。

>しかし、ブルジョアの母は授乳などはしない。そんな「滑稽で不愉快」な肉体労働は、下層階級の領域と思っていた。母は愛を持ってみつめるだけ。それが「母の仕事」抱くのは母ではない・・・乳母の仕事。

これは、当時のブルジョア界全体の思考なのか、一側面を切り取っただけなのか。とはいえ、当時も、親は子に愛情を持っていると思うのですが、私たちが今感じている愛情とは、似て非なるもののような・・・

おっしゃるように、カサットはそういうこともひっくるめて、そのまま描写しただけで、見る側にどうとらえるかはゆだねているのかもしれません。
by コロコロ (2016-11-05 12:43) 

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