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オルセー美術館展を観る(後編) [ART]

「オルセー美術館展を観る(前編)からの続きです
※参照URL→http://blog.so-net.ne.jp/ilsale-diary/2007-04-Orsay-4

 今回は以下の点描画が3点揃って日本に来てくれたのも嬉しかった点です。これらは図録などから作品全景を改めてスキャンする事も可能なのですが、ここでは敢えて自分で撮ってきた部分的な写真を載せています。点描画は近づいたり離れたりしてその色彩の混ざる効果を確認したいものですが、小さい写真だとどうにも判りづらいのが仕方の無いところ。なかなか部分的に拡大写真を掲載してくれている図録も無いので(もしくは在っても大抵はスーラの作品ばかりが使われている)、昨年、自分の為にそんな写真を撮って来ていたのです。
追記・・・文末に作品の全体画像も追加しました(4月25日)。


◆アンリ=エドモン・クロス / 『夕風』(1893-94年) ※写真は作品の一部分のものです

 ミューズたちがそれぞれにくつろぐこの夕景は、まるでお伽噺の中の楽園の様に思えます。金色の夕日差す画面は一見、黄色やオレンジなどに強く全面を支配されている様に思えるのですが、近付いてよく見れば、青い点が陰や輪郭線の様に配置されている他、野には赤やピンクといった、花でも描かない限りは通常有り得ない様な多彩な色が使われています。
 この絵は後にマティスに多大な影響を与える事となり、ここから着想を得たと云われる『豪奢、静謐、快楽』(参考②)の制作へと彼を向かわせます。マティスは線による表現よりも色の集合によって描写対象を組成、表現することを一層意識し、加えて色彩の選択に対してより自由に考えられる様になったとのことです。つまりは、このエドモン・クロスの絵こそが、フォーヴへの発展の源だったと云うわけ。



◆ポール・シニャック / 『レ・ザンドロー、河堤』(1897年) ※写真は作品の一部分のものです

 今回図録を買って初めて知ったエピソードにはびっくり。上のエドモン・クロスの絵『夕風』と、文中に引用したマティスの『豪奢、静謐、快楽』の類縁性に着目して2枚を買い上げ、自身の別荘の食堂に並べて飾っていた男がいたそうなのですが、それがなんとこのシニャックだったんですって。同じ新印象派のライバルだったシニャックとエドモン・クロスふたりの関係は、良き友人でもあり、お互いの芸術の最大の理解者だったんですね。
 ところで僕はこの『レ・ザンドロー、河堤』と、今回同時に日本に来ていたシスレーの『洪水と小舟』を見比べるのがとても好きなのです。方や川べりでぼんやり、方や家の周りもボートを漕がなくてはならないくらいの大洪水でどうしたらいいものか、みたいな、画中に居た人物達の心情的には全く正反対の筈の2枚だと思うのですが、何故か同じ様に気持ちが落ち着く静かな光景なんです。
 シニャックのこの作品は、ほんの小さく、中央に一人の男性が描かれているのですが、遠目に見ると色が景色に溶け込んで、ついその存在を忘れてしまいそう。なので、こうしてその男性を写真に撮って来たわけだったりします(^^;。

※blog友のtaekoさんが2001年3月にパリのグランパレでご覧になった「シニャック展」の記事を書かれています。そちらではエドモン・クロスの『夕景』に触発されてシニャックが描いた『ハーモニー』の画像がご覧頂けます。
http://blog.so-net.ne.jp/taekoParis/2007-04-26



◆アルフレッド・シスレー / 『洪水と小舟』(1876年)

 折角なので、そのシスレーの作品も画像を追加しました(4月25日に追記)。

 マネやカイユボット、バジール、モリゾと印象派には裕福なブルジョワ階級に育った画家が多く、作品にもどことなく育ちの良さやゆとりを感じることがあります。しかしシスレーは普仏戦争で父の事業が破綻。彼も全財産を失ってしまいます。困窮したシスレーは生活費が多く掛かるパリを離れ、郊外のマルリー=ル=ロワへと移りました。この絵は、その隠遁地、ポール=マルリー村で起きた洪水を描いた一連の作品(全6作)の内の1枚です。ポール=マルリーはセーヌ川に沿った村で、春の雪解け水によってしばしば氾濫を起こし洪水に見舞われたそうですが、度々のことで、村人達も諦念していたのでしょうか?、シスレーの描いている村は、彼の冷静な観察眼と筆致に依って、あたかも初めから水に浮かんで存在しているかの様な不思議な静けさを湛えています。



◆テオ・ファン・レイセルベルへ / 『舵を取る男』(1892年) ※写真は作品の一部分のものです

 ベルギー出身の画家、レイセルベルヘのこの絵は、日本人なら泡立つ激しい波しぶきについつい浮世絵を思い浮かべてしまうでしょう。実際、彼は日本芸術に大きな興味示し研究を重ねていたそうで、この作品の構図、特に人物の配置にもそんな影響が現れています。
 うねる荒波に抗い舵を取る男性が力強く描かれていて、穏やかな作品が多いオルセーの点描作品の中ではスーラの『サーカス』と並んで数少ない動的な作品であり、一際異彩を放っているのです。初めて観た時からとても印象的でした。それなのに、この絵に関する解説が載せられている本が今まで1つも見つけられなくって、どう云う絵なのか由来も何も全く分からなかったのです。ですから、今回の図録の解説は本当に有り難く、嬉しいものでした。
 それに拠ると、この絵は既に画廊に飾られていたものを、上で紹介したシニャックが観てまたもや大変気に入り、今度はレイセルベルヘに自分の作品との交換を申し込んだんですって。とても謙虚な性格だったレイセルベルヘはシニャックに対し、「気に入ってくれてとても嬉しいけど、僕の絵を過大評価してないかい?。それでも僕のアトリエに君の絵を飾れると思うと、とても嬉しいよ」と応えたんだそう。好い人だなぁ~(^^。シニャックも終生この友人の絵を大事に手元に置き続け、彼の死後、希望により相続人を通じて国家に遺贈されたそうです。つまりシニャックは、この絵はフランス国家の物として、広く国民に公開、鑑賞されるべきだと言い遺して逝ったのですね。



◆エドガー・ドガ / 『エドゥアール・マネの肖像』(1866-68年頃)

 今回のオルセー展はデッサン画が多かったのも特徴的。借りやすかったんでしょうね、やっぱり・・・(苦笑)。しかし、その中でもこのドガの描いたマネの肖像の素描は群を抜いて素晴らしかったです。



◆アンリ・ファンタン=ラトゥール / 『バティニョールのアトリエ』(1870年)

 そしてこちらもマネが描かれた1枚。バティニョールと云うのはパリの地区の名前で、マネのアトリエが在った場所。同じくここに在ったカフェ・ゲルボワはマネを慕う若い画家(彼らが後の印象派を形成する)や批評家達の溜まり場でした。ファンタン=ラトゥールはサロン重視の保守派でしたがバティニョールに集う面々とも交流があったそうで、そんな一群を彼が描いたのがマネ礼賛とも云えるこの作品です。絵筆を構えるのがマネで、画面右端がモネ、隣の長身がバジール、1人おいてマネの擁護者だった文豪エミール・ゾラ、その隣の帽子がルノワールと、今にして思えばとんでもなく偉大なメンバー達が1枚の中に描かき込まれてれているわけなんです。それにしても、ファンタン=ラトゥールの画風はいつだって生真面目一本槍ですね(笑)。
 ちなみに、後にドニが描いた『セザンヌ礼賛』(参考②)は、このマネ礼賛が着想の下敷きとなっています。



◆フレデリック・バジール / 『バジールのアトリエ』(1870年)

 上のファンタン=ラトゥールの作品に描き込まれている人物達を、今度はバジールが彼のアトリエを舞台に置き換えて描いてみせた作品。南仏ランドック地方の大学都市、モンペリエ出身のバジールはとても裕福な家庭に生まれ育ち、元々パリには医師になる為に出て来たわけなのですが、その途中で画家に進路を変更してしまいます。マネを慕ってやはりバティニョールにアトリエを構えたバジールの元には、この時期ルノワールが同居人として転がり込んでいました。また、1865-66年頃にはモネも厄介になっていたそうで、バジール自身もモデルとして描かれているモネの代表作『草上の昼食』や同時期に描かれた『庭の女たち』もフェルスタンベール街にあったバジールのアトリエで制作されたんだそうです。加えて『庭の女たち』は当時金策に苦労していたモネを助けるべく、バジールが買い上げて所有していたんですから。彼らに限らず、仲間の若い画家達はバジールには随分と物資面で助けられたようです。

 この作品、実は1部分だけバジール以外が描いている箇所があるんだそうです。判りますか?。
 なんと、画面中央に描かれているバジールの姿を描いたのは他ならぬマネなんですって。左下、階段に腰掛けているのはルノワール。階段上から話しかけているのがゾラ。左から3番目がモネで、その隣でステッキを持っているのがマネ。ピアノを弾いているのはバジールの親友メートル。壁には『投網漁』など、バジールの作品が掛けられています。



◆ピエール=オーギュスト・ルノワール / 『バジールの肖像』(1867年)

 バジールのアトリエの居候、ルノワールの描いたバジールの肖像画。この年代のルノワールはバジールと共に長く過ごし、互いに様々な面で影響を与え合っていました。ただ、やはりバジールの豊かさと大らかな友情を思えば、まだ売れない無名の画家だったルノワールの方がより多くを得ていたのかも知れません。この頃の彼には職業モデルなんて、まだとても雇えなかったでしょう。ですから、画家仲間たちは気軽に描ける格好の題材。この絵のキャンバスに向かうバジールも、おそらくそんなことから描かれたものだったのでしょうね。
※反対にバジールが描いたルノワールの肖像(参考③)も在ります。

 それにしても、僅か29歳にして普仏戦争で亡くなってしまうバジール(1870年戦死)ですが、生きていれば間違いなく印象派の中心的存在になっていた事でしょう。才能も影響力も有った彼ですから、もしかしたらルノワールやモネのその後の作風だって、ずっと違うものになっていたかも知れませんよね(※例えばルノワールの珍しい男性裸体画、『猫と少年』はバジールとの間で交互に与え合った影響で描かれたと云われている)。この絵を観ながら、そんなことをずっと考えていました。返す返すも残念だったなぁ、と。




【 参考画像 】

1.以下は上記で扱った点描画3点の作品全景です。


2.参考①・・・マティス / 『豪奢、静謐、快楽』 (1904年)

3.参考②・・・ドニ / 『セザンヌ礼賛』 (1900年)

4.参考③・・・バジール / 『ルノワールの肖像』 (1867年)


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julliez

バジールとルノワール、モネの友情の深さは有名な話ですね。

バジールの実家は葡萄栽培をするモンペリエの名門・・・つまり農園の地主=シャトーのオーナーだったようです。

舵を取る男を見ていると、ヘミングウェイの老人と海を思い出してしまいます。
by julliez (2007-04-23 12:21) 

newyork

とても面白いです。一見、孤独そうな芸術家同士の友情、実は計り知れないくらい深いのですね。どの時代でも芸術家同士は互いに影響しあって、より一層深いものを発見するのですね。
by newyork (2007-04-24 00:39) 

TaekoLovesParis

とても興味深く読みました。
<ファンタン=ラトゥールの画風はいつだって生真面目一本槍ですね(笑)。>
→に私も笑いました。背景の色がラトゥール色。

バジールのアトリエは広く、ピアノやソファー、カーテンなど調度品も立派で、バジールの並外れた裕福さが伝わってきますね。
ドラクロワも同時代の人で、家柄もよく貧乏ではなかったはずですが、アトリエ(現在、ドラクロワ美術館)は、もっと手狭でした。
ここにかかっている絵は、誰の作品なんでしょう?こんなに蒼々たるメンバーが集まっていると、そこまで思いがめぐってしまいます。

ルノワールのバジールの肖像では、脚をもてあましている格好ですわる
バジール、長身ぶりがよくわかりますね。

私はスーラのまじめな点描より、大らかなシニアックの点描の方が表情
豊かで好きです。シニアックの作品には水辺が多いですね。
by TaekoLovesParis (2007-04-24 09:27) 

yk2

julliezさんのコメントを受けてバジールとモネのエピソード少々と、バジールが描いた『ルノワールの肖像』の画像を追加してみました。

バジール家はシャトーのオーナーでしたか。
今もそのシャトーは存在するのかな?。ちょっと飲んでみたいかも(^^;。

前回のオルセー展(99年)の時、バジールの『家族の集い』と云う作品が日本に来ていました。南仏の明るい外光差す庭の木陰で彼の家族を描いた集団肖像なのですが、田舎っぽくは在ってもやはりブルジョワ。服装もきちんとしていてやはり豊かな感じがする絵でした。当時の社会情勢考えてみても、シャトーのオーナーじゃさもありなん、ですね。
by yk2 (2007-04-25 00:12) 

yk2

newyorkさん、コメントありがとうございます。

今回の展覧会のテーマの1つに、「芸術家の生活-友人」と云うものがありまして、割とアーティスト同士の関わりに沿った作品が多く揃えられていたのです。ですから、ついつい僕の書き方もそっちに傾いたものになっちゃってるのですが(^^;、この時代のアーティスト達はむしろグループを好んで形成していた気がします。パリの画家の誰もが、偉大な先人の作品を模写しにルーヴルへと出掛けた時代ですから、互いに知り合う機会も今我々が思うより、ずっとたくさん有ったんじゃないでしょうか。そんな中で同じ方向性を持って研鑽し、より高いレベルで触発し合ったからこそ、より更なる芸術レベルの高みに昇って行く事が出来たのではないかと僕は思っています。

音楽にも、こう云ったことってあるでしょう?。
たった1人の素晴らしい演奏家が加わることで、そのレベルの高さに負けまい、取り残されまいとしてみんなが頑張って、全体のアンサンブルのレベルが1段も2段も上がって行く様な感じと似ていませんか?。
by yk2 (2007-04-25 00:39) 

yk2

taekoさん、こんばんは。

ファンタン=ラトゥールは『シャルロット・デュブール』って女性の肖像画もあったでしょう?。こちらも如何にも真面目な、彼らしい硬い表情と色遣いで面白みがぜーんぜん無いの(苦笑)。でも僕はそう感じても、taekoさんはきっとその生真面目な写実性が好みなんだろうなぁ・・・なんて会場でも思いながら観てましたよ(笑)。

ドラクロワのアトリエはTVで見た事がありますが、確かに割合質素と云うか、普通の住居でしたね。まぁ、バジールがそれだけ桁の違うおぼっちゃまだったと云う事じゃないかな(笑)。

このアトリエの壁に飾られているのは一応全てバジールの作品らしいですが、僕は実際の作品だと分かっているのは2作品だけです。仲間の作品を何点も買い取って援助していたのは確かみたいだけど、それはどこに飾っていたのか、考えてみたら気になっちゃいますね。
by yk2 (2007-04-25 00:55) 

TaekoLovesParis

yk2さん、<ファンタン=ラトゥールは『シャルロット・デュブール』って女性の肖像画>
→この方は、こわそうな顔で、あまり美しくないので、好みではありませんでした。肖像画を描いてもらうほどだから裕福だったと思うけど、生活の苦労が出ている感じで、表情にゆとりがありませんよね。
私が「まぁ、すてき」と立ち止まって眺めたと思った?
ラ・トゥールの花が美しいのは、花そのものがきれいだから、ってよ~く
わかりました。
by TaekoLovesParis (2007-04-25 01:38) 

yk2

taekoさん、こんばんは。

あれ~?、あんまり好みじゃなかったんですか、あの絵。予想外だ(笑)。

>生活の苦労が出ている感じで、表情にゆとりがありませんよね

まったくもう~・・・、セレブなtaekoさまに掛かると敵いませんね、生活の苦労だって・・・(苦笑)。彼女はシャルロット・デュブールと言って、ファンタン=ラトゥールの奥さんの妹さんで、ドイツ語の先生だったんですって。

>ラ・トゥールの花が美しいのは、花そのものがきれいだから、
>ってよ~くわかりました。

でもtaekoさん、クリーヴランド展の時はベナールよりラトゥールに描いて欲しいって云ってましたよ(笑)。

いつも思うのですが、彼の描く女性は褐色の地味な背景に包まれて、あまり微笑みもせず晴れやかでもない。何だか沈んだ表情に見えてしまう。ラトゥールはきっと、見たままに肖像画を描いてしまう人だったんでしょうね。それって、普通の女性にとってはあんまり嬉しくなさそうな・・・(^^;。
by yk2 (2007-04-25 22:46) 

TaekoLovesParis

困ったな、、返す言葉につまってます。
クリーブランド美展のときの、2つの肖像画では、やはり、ラトゥールが好きです。でも描いてもらうのは、ちょっとこわくなってきました。
私はそそっかしいから、あの肖像画のような冷静沈着な人に憧れます。

エドモン・クロスとシニャックの絵を見てたら、ずいぶん前に行った「シニャック展」を思い出したので、トラックバックつけさせていただきました。
by TaekoLovesParis (2007-04-27 01:11) 

yk2

taekoさんとこにコメント書くのにシニャックとクロスの図録解説やらを読み直しててこんな時間になってしまってます。早く寝なければ・・・(汗)。

>私はそそっかしいから、あの肖像画のような冷静沈着な人に憧れます

ああ~~、そう云う理由なんだー。
「そそっかしい」にひたすら納得!なのでお気持ち、大変よく理解出来ました(爆笑)。え?、笑うトコロじゃないって??(^^ゞ。

今回ここでは取り上げなかったけど、一番気になった肖像画はクノップフの描いていた若い女性の絵で「マリー・モンノン」。この作品に描かれている女性は後のレイセルベルヘ夫人なんですってね。会場では時間が無くって絵の説明書き読めなかったんで、ついさっき知りました(苦笑)。

taekoさんはそうと意識せず、設定でURL載せてもTBしないままにしてあるんでしょ?。今回もやっぱり、TB入ってませんもの(笑)。
by yk2 (2007-04-27 03:01) 

TaekoLovesParis

ここのお仲間は、ベルギーのクノップフまで含まれているんですね。
「マリー・モンノン」、探したけどみつからないので、実家の画集で見て
みます。レイセルヘルベが描いた奥さんと娘(読書をする婦人と少女)を
、ベルギー王立美術館展のカタログで見つけたけど。
by TaekoLovesParis (2007-04-28 17:49) 

yk2

そのベルギー王立美術展の作品に描かれている奥さんは間違いなくマリー・モンノンですね。

レイセルベルヘがクノップフと友人関係にあったかは分からないんですよ。ただ同じくベルギー出身で年齢も近い(クノップフが4歳年上)。図録に拠ると、マリー・モンノンのお父さんがクノップフの最初のモノグラフを出版したブリュッセルの編集者、アルフレッド・モンノンという縁で描かれた肖像画だったそうです。ですから、モンノン家を間にして面識は絶対有った筈だとは思うんですが。

オルセーの図録“La peiture a ORSAY”(モネの『草上の昼食』、白地にドットのドレスを着たカミーユが表紙の本)がもしご実家に有るのなら、P140に載ってますよ。なければなんとかしますので(^^。
by yk2 (2007-04-29 02:06) 

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