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若冲と江戸絵画展~江戸の絵師にガレを想う [ART]

 幾らでも、もっと早くに行けた筈だった。
 「大丈夫、まだ会期はある、今日こそは、いや明日でいいや、やっぱり今日は暑すぎる。でも明日の予報は雨らしいから、来週でもいいのかな・・・」。

 そんなふうにダラダラとしたつまらない逡巡を何度も繰り返して、結局はいつもどおりに終了直前。最終日の前日になってようやく「プライスコレクション-若冲と江戸絵画展」を観に上野公園にある東京国立博物館へ出掛けて来た。人気展覧会の最終土日は絶対に避けるべし、と云う毎度毎度の苦々しい過去の教訓は、今回も全く生かされなかったわけだ。自分の学習能力の低さにつくづく呆れてものも云えない・・・。

 会場は当然の如く入場制限有りで待たされること30分以上。予想通りの大賑わいだった。





 作品展示はテーマに拠って4つの部屋に5つのテーマで区切られていた。入り口は2つ。どちらから観ても良いようになっているが、やはり若冲が展示してある方は大変な混雑ぶり。もう片方から順に巡った方がスムーズだと係員が盛んに誘導しているのでそれに従った。

 そこで先ず観た江戸琳派と呼ばれる絵師達の作品に、いきなり僕は驚かされてしまった。日本画がこんなにも瑞々しく新鮮に目に映るなんて、予想もしていなかったから。


 【 酒井抱一(さかいほういつ) : 十二ヶ月花鳥図 19世紀江戸時代 絹本着色 / 左から1月、6月、8月 】

 酒井抱一(1761-1828)は三河以来の徳川家譜代の重臣として知られ、姫路城主となっていた酒井家の次男として江戸に生まれた。名は忠因(ただなお)。39歳の時に西本願寺の文如について出家し等覚院文詮暉真(とうかくいんもんせんきしん)と名乗る。始めに狩野派、南蘋(なんぴん)風※の写生画や肉筆浮世絵を学び、円山派や土佐派の影響も受けつつ特に尾形光琳に私淑し、光琳百回忌を営む他、「光琳百図」などの出版を通してその影響を強くし、次第に江戸琳派の画風を確立した。多才で俳諧にも長けていたという。

 12ヶ月それぞれに合った植物や小動物をモチーフにしたこの花鳥図は藤原定家(1162-1241)の「月なみの花鳥の歌」(拾遺愚草)12首に基づき、江戸初期の古典復興の気運の中、狩野探幽、土佐光起などによって描かれた図様が伝承され広く普及した題材なのだとか(要旨、当展覧会図録より)。
 
 木肌、葉脈など細部の書き込みは省かれてはいるものの、簡潔でリアルなフォルムの植物たち。侘びた褐色の中に瑞々しさを宿す緑青色。咲く花々もどこかそっとしていて、奥ゆかしい。そこに鳥や蜻蛉など小さな生き物が描き添えられている12幅の絵はまるで西洋画の影響を受けた水彩画のようなモダンさを湛えている。

 今まで日本画に特に興味を覚えたことはなかった。印象派の画家が好きであっても、彼らに影響を与えた浮世絵にさえ惹かれることもなかった。

 なのに、抱一のこの絵にはとても親しみを感じる。その理由は簡単だ。彼がここで描いている紫陽花、蜻蛉、五月の幅の花菖蒲という題材に、先日渋谷の東急Bunkamuraで観たエミール・ガレのガラス花器を思い出したから。


 
 右はガレの煤けた竹筒を模した花器で、モチーフの花はリュウキンカと云われているので画題が類似しているわけではないのだが、絵の木肌と花器ともにベースに透けるグリーンでこれを思い出してしまった。


 
 

 これは紫陽花そのものと蜻蛉。どちらもガレ作品には幾つも登場するモチーフ。


 
 五月の幅に描かれている花菖蒲とガレのアイリス。


 植物、鳥、昆虫といった自然をあるがままにガラスに写し取ったガレ。
 その彼の作風に多大なヒントを与えたのは他ならぬジャポニズム。フランスでは1867年のパリ万博で初めて紹介されると先ず第一の日本文化ブームとなり、1878年のパリ万博では広く一般大衆をも巻き込む程の一大センセーションとなった。ジャポニズムがフランスの芸術、工芸界に与えた影響は大きく、ガレ自身も日本の陶器、花器、浮世絵のなどのコレクターであったことがよく知られている。

 そんなことを断片的に想い出しながら、抱一にまた目をやる。

 きっとガレだって抱一のような江戸の絵師の作品も目にしていたのではないだろうか。そして、大いにインスパイアされたに違いない。

 こんなふうに自分勝手な想像を巡らすのもまた、楽しいものなのだ。


 そしてもう1つ。こちらもガレを思い出してしまった作品。


 【 鈴木其一(すずききいつ) : 貝図 19世紀江戸時代 絹本着色 】

 鈴木其一は酒井抱一の門人で、紫染め職人の子として江戸に生まれ、18歳で抱一の内弟子となる。後に抱一の付き人であった鈴木蠣潭(すずきれいたん)の姉と結婚し鈴木家へ入り酒井家の家臣となった。抱一の代筆を務めるほど師風を極めるもそれに止まらず、更に自己の画風を確立したとある。(要旨図録より)

 この絵を見て思い浮かべたのが、ガレ展で一番僕の印象に残っていたこの作品。

 
 【 エミール・ガレ : 海底文鉢 1900年頃 】

 どうしてこんなにもガレばかりを思い出す画題が多いんだろう(笑)。

 江戸の絵師の作品にアールヌーボー的感覚を見つけて喜ぶのも、何だか反対でピントがずれている気もするのだけど、僕は酒井抱一が尾形光琳の画風を慕い起こしたという江戸琳派に親しみの伴った興味が湧いて来るのを感じて、なんだか嬉しくなってしまった。

※南蘋(なんぴん)
 沈 南蘋(しん なんびん:1682~没年不詳)中国・清の画家。南蘋は号で中国本国では沈銓として知られる。清代花鳥画の鈎花点葉派に属する。色彩豊かな写生風の花鳥画を得意とした。
8代将軍吉宗の招きに応じて1731(享保16)年に清から派遣され来日し、長崎に3年間滞在して日本の若手絵師の指導に当たったという。結果、南蘋が日本の花鳥画・写生画に対してもたらした功績は多大なもので、日本人として唯一の弟子の熊斐、さらにはその弟子達(宋紫石ら)がその後に南蘋派を形成するに至る。一派は南蘋の帰国後も将軍家招聘絵師の流派として大名家など武士階級から大いに重用され流行、いわゆる長崎派として括られる諸画派全般に対して大きな影響を与えた。



★ ★



 さて、最後に肝心の伊藤若冲について少々愚痴っぽい追記を。(#本当は別記事にしたかったんだけど・・・苦笑)
 
 今回の目玉、『鳥獣花木図屏風』に対する注目の高さたるや、それはそれは凄まじいものだった。作品の周りはぎゅうぎゅう詰めの満員電車まるまる1両分くらい、いや2両3両とも思える様な大変な人の数で押し合いへし合い。絵の手前10mくらいからまるで近付いて行けない。どうしてもそばで観たくって、その「人!ひと!!ヒト!!!」の押しくらまんじゅうに身を任せるも、我先にと進もうとするマナーの悪い人は後を絶たず、押されて危うくバランスを崩して倒れそうになっている女性や「痛いよ~」と泣き始める子どももいて、もう散々。とても絵を鑑賞するどころの話ではない。こんなの初めてだ。

 辛抱に辛抱を重ねて10~15分ほどが経っただろうか(屏風はすぐそこに在るというのに!)、ようやく順番が来て、ついに最前列まで辿り着くには着けたけど、結局は六曲一双でそれも二扇ある屏風のほんの一部分の前に立てただけ。あまりの混雑のせいで、屏風と平行に左右へと移動することは全く許されない状況だった。それでも、せめて目の前の一部でもしっかりと目に焼き付けて帰ろうと頑張ったけど、終始後ろから身体を押しつけられ、危なくって、とてもではないけどゆっくり観てなどいられない。せっかくの桝目描きの手法も、楽園に集う動物たちのユニークな表情も、ほとんど自分の目で鑑賞することなど出来なかったし、引いて全体をじっくり眺める事さえも叶わなかった。

 これじゃ、とてもじゃないけど、僕には「観た」とは云えないよ・・・。とっても楽しみにしていただけに、本当に泣きたいような、どうにもやりきれない気持ちでその場を後にした。


◆伊藤若冲(1716-1800) 『鳥獣花木図屏風』(江戸時代、18世紀) ※写真は作品の一部分です

 いつかまた、今回の作品たちの持ち主、ジョー・プライスさんはこの絵を日本に貸し出して下さるだろうか。噂じゃ、今回が最後だって云うのになぁ・・・。この絵に関してだけは、あまりに悔いが残ってしまう、悲しい展覧会だった。その他は文句の付けようのない素晴らしさだったと云うのに・・・。


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plot

琳派創成期の3大巨匠、俵屋宗達、本阿弥光悦、尾形光琳は、時代こそややずれるものの、レオナルド、ミケランジェロ、ラフェエッロにも比肩する日本文化の至宝です。その意味では特に宗達などもっと世界的に評価されるべきです。彼らを盛期ルネサンスとすれば若冲は典型的なマニエリスト。絵画の可能性を無邪気に徹底して拡張していった姿は、ロッソ・フィオレンティーノやジュリオ・ロマーノを彷彿とさせます。
by plot (2006-08-29 17:10) 

シェリー

こんにちは~
やっぱりyk2さんの美術館記事は素敵だな♪うっとりしますね。
ガレの作品との共通点なんて私だったら思いもつかなかったですが、
こうして並べて魅せていただくと本当に違和感なくなじんでみえて驚き。
プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展はTaekoさんのところで拝見して
観てみたいな!と思ってたのですが、太宰府にある「九州国立博物館」で2007年1月1日~(汗)展示されるそうです。来年の話すると・・・笑われそうですがますます愉しみです。でもおそらく福岡に出かけることになるので私の場合は食べ物記事になる可能性大・・・(汗)
by シェリー (2006-08-29 18:04) 

yk2

洋一先生、久々の美術講義ありがとうございます!。
イタリアが世界に誇る三大巨星にも比肩しますか~!、琳派創生の三大巨匠も。それはすごいかも(^^。

洋一さんのブログやコメントから僕が受けてる影響って大きいんですよー。何かと分からないことはこちょこちょと調べてみて、それを結構楽しんでます。
ロッソ・フィオレンテーナやジュリオ・ロマーノもお勉強しておきますです。

若冲については現在また次の記事に書いております。でも長沢芦雪の迫力もすごかった!です。
by yk2 (2006-08-29 21:28) 

yk2

シェリーさん、こんばんは。
いや、ガレ展観たのに、すっとblogに上手くまとめられなくってごにょごにょ考えてたところに、だったからで、偶然の結果オーライみたいなもんです(苦笑)。

九州に巡回する時は絶対観た方がいいですよ。
taekoさんも書いていましたが、照明が国立博物館と同じように光の変化を楽しませてくれるものだったら、光量によって屏風絵の表情が変化するところは必見。素晴らしくて溜め息ついちゃいます。

そうそう、シェリーさんならではの、九州国立博物館内レストランのランチレポート、今から楽しみにしてますね(笑)
by yk2 (2006-08-29 21:37) 

TaekoLovesParis

yk2さん、若冲とガレの対比とは、いいですね~。なるほど~です。
私は、両方見たのに、思いつかなかったです。
しかも写真が添えてあるので、展覧会を見ていない人にもわかりますよね。
plotさんのコメントにも目を開かされます。
<彼らを盛期ルネサンスとすれば若冲は典型的なマニエリスト。絵画の可能性を無邪気に徹底して拡張していった姿>
若冲は絵を描くことが純粋に好きで描いていたそうですが、次々に新しい発見をしていってますね。集中力をもってきわめて行くことで感動を生む作品に
なっていることを感じます。
とても刺激の多い、いい記事でした。
by TaekoLovesParis (2006-08-29 23:49) 

yk2

taekoせんせ、お褒めのお言葉ありがとうございます~。
でもやっぱり今回もなんだか後がコワいなぁ~。<謙虚に警戒中(笑)

>私は、両方見たのに、思いつかなかったです

taekoさんはガレ展のことなんてさっさとblogにしちゃってあったから、僕みたいにいつまでも引きずる必要なかったからですよ。でも、これだけ取り上げてるテーマが似てると面白いでしょ?、改めて並べて見ると。ガレが江戸琳派の作品を本当に見ていたかは判りませんが、少なくとも花鳥画自体の存在は知っていたのでは?、なんて考えちゃってます。

洋一さんの書かれてらっしゃる「若冲は典型的なマニエリスト」は僕にとってはとっても難しいお話です。正統的な日本画に惹かれることなく、プライス氏曰く「エキセントリック」な若冲、そして芦雪にこうも強く魅せられるのは一体何故だろうと、只今自分を自分で分析中(笑)。
by yk2 (2006-08-30 01:38) 

TaekoLovesParis

yk2さん、単に作品を見るだけでなく、それを心に留めておいて、似てるって提案していただくと、他の作品もあれは?、これは?、と考えをめぐらし、おもしろいですね。5日間くらい旅行に行くので、帰ってきてから、またね。
by TaekoLovesParis (2006-08-30 09:59) 

yk2

今日から旅行?。いいなぁ~、どちらまでなんだろう。
taekoさんがパリに行くにしては5日くらい、はち~と短いでよすね。
ま、いずれにせよ、どうせまた美味しいもの三昧なんでしょ!
#ロブションに豪華中華を続けて読まされているので、かなりくやしい・・・(笑)。

よい旅になりますように。
by yk2 (2006-08-31 00:45) 

コロコロ

始めまして

琳派とガレ・・・・
抱一の《白蓮図》を見た時に、抱一はガレを見ているのでは?
と思いました。

同じように感じられている方がいらして、うれしくなってしまいました。
サントリー美術館で、白蓮図に再会して感慨もひとしお。
下記で、リンクさせていただきました。差しつかえないでしょうか?

https://tabelog.com/rvwr/000183099/diarydtl/144131/

by コロコロ (2016-10-12 20:04) 

yk2

◆コロコロさま:

はじめまして。ご訪問ありがとうございます。
コロコロさんのサイトも見せて頂きました。とても真摯に美術と向き合っておられる様で、様々な考察を興味深く拝読させて頂きました。私のこのガレと琳派のお話は、もう随分昔の記事で、当時は抱一、其一の知識もほとんど無かった頃のものですから、コロコロさんの真剣に書かれてらっしゃる記事にリンクなど、逆に申し訳なく感じ恐縮してしまいます(^^ゞ。

>抱一はガレを見ているのでは?

のコメントは、うっかり逆の書き間違えと拝察致します。コロコロさんの記事に「ガレは抱一をはじめとする江戸の絵師の作品を目にしていたのではないか。
そうあって欲しい・・・・」と記されておられますものね(^^。

あれからガレとジャポニスムの関係に興味を持って、幾つかの書籍を読んでみましたが、直接的にガレと琳派を結びつける話にはまだ行き当たりません。ガレとナンシーの地で交流があった高島北海や、日本美術商の林忠正経由でその辺りの興味深い話が無いかと考えたのですが・・・。

ただ、北海は日本に引き揚げる際、彼の蔵書の多くをナンシーの友人に贈っていて、その中に抱一の監修した『光琳百図』が含まれているそうです(※現在もナンシーの公立図書館が所蔵)。これを当時ガレが北海から見せて貰っているとしたら、少なくともガレも光琳の存在は知っていたでしょうし、この本を監修した抱一も絵師で・・・と北海から紹介されているかもしれません。こんなふうに想像を巡らせるのは、本当に楽しいですね。僕も先日のサントリー美術館でのガレ展も開催中の其一展も観ておりますが、このところblogにそんな事を綴ることもめっきり少なくなっておりますが、コロコロさんの今回のご訪問をきっかけに、またガレのことを調べてみたくなりました。

カサットの方にもコメント頂いておりますね。
ちょっとお時間を頂戴するとは思いますが、必ずお返事書かせて頂きます。先ずはこれにてお許し下さいませ(^^。

by yk2 (2016-10-13 12:50) 

コロコロ

ご丁寧なコメントをいただきましてありがとうございます。
抱一とガレ、おっしゃるとおりうっかり八兵衛でした(笑)

私も、抱一、其一を知ったのは去年で、ガレと抱一がどちらが先なのかもわからない状況でしたが、琳派が西洋に影響を与えていたことは会場のビデオでも語られていたので、どこかに探せばその事実がきっとあるはずだと裏付けのない確信に近いものを感じていました。

私もその後、高島北海の存在を知り、そのあたりを探れば、抱一との具体的な関係も出てくるのでは? と思いながらそのままになっておりました。北海が引き揚げ時に、『光琳百図』を置いてきたというのは、今、まさに其一展で『光琳百図』を見ているだけに、あれを、ガレも見ていたかもと想像するだけで、感慨深いものがあります。

「次は何を見る?」を拝見したところ、私も見たものもありました。メアリーカサットについては、何かが違う・・・と思って調べ初めて、まず最初にこちらのブログにたどりつきました。我が意を得たり!で、参考にされた書籍を借りたりしました。1/3 2/3があり3/3はいずこ? と結構、ぐるぐる探してました(笑) ああ、書かれていないんだ・・・と気づき、もう終わりなのかなぁ・・・・続きが読みたいと心の中で思っていたら、ガレと琳派にまた出会ってしまいました(笑)

気長に首をのばしつつ、他を拝見させていただきながら、お待ちしております。見ているうちに、またコメントしたくなりそうですが(笑)

by コロコロ (2016-10-15 14:25) 

コロコロ

サントリーの秋田蘭画を見て、其一は、その影響を受けているのだろうな・・・と思いながら、これまで知らなかった「南蘋」という存在を知りました。
其一の貝図にガレの海底文鉢の貝殻を思い浮かべられたとのこと。

先日、速水御舟展を見ていたら、ガレ同様、御舟も其一を見て影響を受けているはずと思いながら見ていました。その御舟が習作として描いた貝の絵は、プライス・コレクションにある其一の貝の作品を思い起こさせると書かれている方がいらっしゃり、この貝図の画像を思い浮かべました。プライスコレクションのようですね。

エミールガレになぜ惹かれたのか・・・・ その足跡をたどって、自分の物の見方などが見えてきました。

http://korokoroblog.hatenablog.com/entry/2016/02/10/000000

心惹かれるアーティストは、「生」を題材にして、「いかに生きるか」を、様々な形でメッセージを送ってくれていて、それを受け止めることができた時、心が共鳴するのだとわかりました。

ガレ、其一、御舟の貝つながり。そして其一は、秋田蘭画、「南蘋」の影響を受けている。そんなことが見えてきたように思います。そんないろいろを詰め込む場所が欲しくなり、「冷やし中華始めました」ならぬ、新たに「ブログを始めました」(笑)
by コロコロ (2016-12-14 11:35) 

yk2

コロコロ様、申し訳ありません。この記事は書きましてから既に10年が経った話でございまして、残念ながら、今現在の私は、ガレが抱一や其一を知っていた、或いはその作品に直接的に影響を受けていたとは思えなくなっております。

何故なら、ガレの所蔵していた日本関連の美術品や書籍で記録に残っているものには、抱一や其一に直接繋がるものが見受けられない、また、ガレが実見可能だった博覧会などに抱一・其一の作品が出展されていた記録も無く、林忠正、ビング、ルイスなどの美術商の扱い品にも、ゴンクールなどガレが接触可能だったジャポニザンのコレクション(遺品売り立てカタログなどから判る範囲では)にも、それらは含まれていない様だからです。もちろん、これは僕が直接文献を調べられたわけでなく、ガレや江戸琳派関連の一般書店でごく普通に手に入る書物のごく一部を目にした範囲での底の浅い見解です。絶対的な確証などは全くありませんが。

また、現在発見されている記録には残っていない書籍を所有していた可能性も残されているようですが、記録が無い以上、その点は現時点では謎の儘です。

以上を踏まえますと、僕には、「見て影響を受けているはず」だとは書けません。

貝図に関しては、僕は抱一が八百善との関係で挿絵を描いた『江戸流行料理通』(http://www2.dhii.jp/nijl_opendata/NIJL0112/049-0094/3)に関連したテーマと思っていましたが、京都の本法寺に伝わっている中国・北宋の画家、趙昌の『貝尽くし図』(重要文化財)に代表される、古くからある画題の様です。つまりは、貝図そのものは抱一や其一のオリジナルではない、と云うことです。そもそも、この本法寺は本阿弥光悦縁の寺だそうで、宗達に遡って緒方流の概念を立て、命名。今で云う琳派の作風を研究した抱一は、この北宋絵師の銘品・貝尽くし図の存在を知っていたのかもしれません(あくまで可能性は有るのかも、です)。ちなみに抱一とは関係ありませんが、墨江武禅=すみのえぶぜんと云う大阪で活動していた(※抱一より30年ほど早く生まれた)絵師が模写を残しています。見ていると、北斎絵本に描かれる貝に似ている様にも思えてくる図です。あくまで想像ですが、趙昌の貝が”お手本”となって、後世の多くの絵師たちの貝図に大きく影響を与えているのかもしれませんね。

もしガレが日本の貝尽くし図を目にしているとしたら、それは絵ではなく、サントリー美術館所蔵の小川破笠=おがわはりつ(1663~1747)の『貝尽蒔絵硯箱・料紙箱』の様なものかもしれません。と云うのも、破笠の作品はビングにより『芸術の日本』1889年4月号でも紹介されていて、ジャポニザンたちに人気の工芸家だったそうです。そうして、ガレがその『芸術の日本』を蔵書していたことはきちんと記録に残されています(ソースは2008年開催の「ガレとジャポニスム展」図録より)。

ただし、ガレのガラス鉢『蓮に蛙』の様に、明らかに北斎の引用と判断がつくものとは次元が違うわけで、ただの「貝」繋がりであるだけで影響関係の無い可能性だって、もちろん「大いに」残されています。ま、そもそも海のないナンシーで生まれ育ったガレが自らのアイディアとして「海底文」を思いつくのだろうか・・・って疑問もありますけどね。例えば、ラリックやティファニーなども注目した刀の鍔の意匠には、海底文に近い貝尽くしの物も見受けられますし。

最後に、このお話は、コメント欄で延々展開するのは僕には少々骨が折れますので(^^;、今後のコロコロさんのブログで更なる考察が進むものと期待しております。是非、「一方聞いて沙汰するな」の精神で様々な角度から検証なさってみて下さい。実り多いブログとなります様に。
by yk2 (2016-12-15 09:00) 

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